

吉野 元 (よしの はじめ)
1981年3月9日 (44歳)

いつも前向き時々後ろ向き、対馬の元気印。
対馬を拠点に心豊かな暮らしを堪能。
ワカモノ・ヨソモノ・バカモノ視点でしまづくりを提案。
課題先進地 対馬の未来にイノベーションを起こしたい!
研究→行政→企業→NGOを経て政治家を志ます。
ライフワークとして、自然共生社会を模索します。

略歴
1981年3月〜1995年3月
1996年4月〜2003年3月
2004年4月〜2009年3月
2010年4月〜2012年3月
2013年6月〜2017年5月
2017年6月〜2024年3月
宮城県仙台市生まれ。仙台市立寺岡小学校、中学校。サッカークラブ・陸上部。副部長。10歳の時に10ヶ月間、家族でアメリカ・カルフォルニア州サンフランシスコで過ごし、シーワールドでシャチと出会い、惚れ込む。



宮城県仙台第三高等学校。男子校で陸上部。皆勤賞。毎日往復20kmを自転車で通学。
東北大学を受験するも不合格。
一浪して琉球大学理学部海洋自然科学科へ。
沖縄では、やんばる・西表の森やサンゴ礁の海で、亜熱帯の生物多様性の魅力にハマる。研究室でツシマヤマネコ・対馬を知る。
卒業研究は、洞窟性のオキナワコキクガシラコウモリの音声の地理的変異。



大学卒業後に研究員生活を経て、東北大学・大学院(修士課程)に進学し、2年間、コウモリの音声変異と遺伝子解 析(進化生態学)を行い、国際科学誌に2本論文を受理。生命科学研究科の研究科長賞を受賞。奨学金全額免除。
日本学術振興会 特別研究員(DC1)に採用。給料・研究費を得て、3年間博士研究を行い、博士号(生命科学)を取得。その間に、ノルウェー・アイスランドのシャチの研究調査に参加して夢を叶える。東北大学認定の資格Professional Ecosystem Manager(PEM)を取得し、生態学の知見を生かして社会に貢献する博士人材として学びを深める。国際フィールド実習では、生物多様性のホットスポットであるボルネオに行き、熱帯雨林がパームオイルのプランテーションに変わる現実を目の当たりに。


環境省自然環境局生物多様性地球戦略企画室に事務補佐として1年勤務。COP10@愛知での国連の国際会議に役人として参加。その後、民間企業(株)レスポンスアビリティで環境経営コンサルタントとして2年勤務。大手企業に生物多様性のビジネスリスク・チャンスを語る中で、自己矛盾に陥る。都会の暮らしに馴染めずに苦しむ。東北の大震災を東京で被災。人生に迷う。


大学院時代の友人に呼ばれ、対馬に移住し、一般社団法人MITの設立メンバー(統括マネージャー)として非営利の地域づくり事業を開始。対馬市の域学連携地域づくり事業や総合計画の策定業務を任される。釣りにどハマりする。心の豊かさや自然の豊かさを感じる暮らしに、価値観が180度変わる。
妻由起子と結婚し、二人三脚でMITを経営する。


一般社団法人MITの代表理事に着任。森里海・人に関するつなぐ横断的な事業を展開。佐護ヤマネコ稲作研究会の事務局長、対馬観光物産協会理事、対馬もりびと協同組合専務理事などを兼任。対馬市のコンサルタント・デザイン会社として5-6名の雇用を継続している。
世界自然遺産地域やんばるにも支所を設立。地元出身の若者を雇用し、蝶の庭に着目した環境教育を市田夫妻と推進。
2024年3月任期満了につき、代表理事を退任。4期8年を黒字経営で、対馬経済や人材育成、雇用創出にも貢献。次のMIT代表の後継者として、釜坂(小川)香織を指名。


これまでの対馬での主な取組み
一般社団法人MIT
地方自治法施行70周年記念
地方自治功労者総務大臣賞
(2017年12月)
佐護ヤマネコ稲作研究会
日本自然保護大賞
地域の活力部門 大賞
(2017年2月)
対馬もりびと協同組合
設立と予算獲得
休眠預金等活用事業等採択
(2023年10月)
丸徳水産×MIT
環境省グッドライフアワード
地域コミュニティ部門環境大臣賞
(2023年12月)
コンサルタント
民間の経営者
専門家(博士)
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第2次対馬市総合計画、環境基本計画の策定業務等の受託責任者
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UIターンの移住者の呼び込み、空き家と廃校の利活用実績あり
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ヤマネコ保全と産業振興を両立する地域団体の経営/事務局
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そう介プロジェクト(磯焼け対策)、上対馬海業振興の企画者
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大学(教員・学生)や専門家等、島外人材との連携実績多数
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対馬デザインのポロシャツやいきもの雑貨の商品開発・店舗販売
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民間事業者への経営支援・補助金獲得支援、ブランディング支援